2007年07月11日(水) 22:20
不完全なふたり
ちびちび的プチ評:



すれ違う思いと分かり合えないもどかしさ。見応えあり!
製作年 : 2005年
製作国 : フランス=日本
配給 : ビターズ・エンド
監督・構成 : 諏訪敦彦
出演 : ヴァレリア・ブルーニ=テデスキ 、 ブリュノ・トデスキーニ
あらすじ:
マリーとニコラは結婚して15年になる夫婦だ。彼らは友人の結婚式に出席するために、リスボンからパリへやってきた。その夜、食事の席で、ニコラは友人に自分たちが別れるつもりだと告げる。周りからは「理想のカップル」に見えた二人だが、その仲はいつの間にか冷え切っていた。結婚式のパーティの後、二人は喧嘩をしてしまい、ニコラは夜の街へ飛び出す。
このまま二人は本当に別れてしまうのだろうか…。(goo映画より)
結婚して15年になるマリーとニコラは、
友人の結婚式に出席するため、パリにやってきました。
映画の舞台は、主に、彼らの宿泊するホテル。
せっかくのパリなのに、
エッフェル塔もシャンゼリゼもありません。
ですが、即興で作られたという芝居が、
本当に飽きさせない。ぐいぐい引っ張っていってくれます。
すんばらしく自然な演技に拍手!
そして、それを引き出した諏訪敦彦監督に脱帽!
フランス語が分からないながらの演出というのですから、
驚きです。
オープニングのタクシーのシーンで、
彼らが「シラ〜ッ
」とした関係なのは、
ちゃんと見えています。
友人たちからは「理想の夫婦」と見られていますが、
実は彼らは「離婚」を決めているのです。
口を開けば、角つき合わせる状態で、
エキストラ・ベッドにどちらが寝るのか。
ホテルのキーを忘れて、取りに行くのはどちらなのか。
いちいち口ゲンカになってしまいます。
でも、それが罵り合いにまで発展することはないのです。
マリーの方が、けんかしたかった時。
「俗物になった」とか「底が浅い」とか、
さんざんにニコラをこき下ろして挑発するのですが、
ニコラは相手にしてくれない。
逆に、ニコラが話をしようとする時、
マリーはスネモードに入っていて、
「別に」
と応えるだけになってしまう。
こうした時、カメラは、
隣の部屋にいるマリーをドア越しにとらえていて、
ニコラ自身は画面に映っていません。
でも、ちゃんとニコラの存在感は伝わってくるのです。
映画全編を通して、
どちらか一人だけが画面にいる、
もしくは足だけとか、
鏡越しにチラチラといった感じのシーンが多いのですが、
これがまた、「向き合わない」二人を映しているようで・・・。
うう〜、もどかしい。
でも。
離婚を決めたものの、本当にこれでいいのか、迷う。
一緒にいるとイラつく。でも、やり直すことはできないのか。
どちらの道に行くにも決定打がなくて、
二人の思いは空回り、すれ違ってしまいます。
「私たちは何をしたの? 何をしなかったの?」
この台詞、恋の終わりに体内を駆け回る呪文のようです。
「愛情の反対語は憎しみではない。無関心だ」
という言葉がありましたが、
二人の関係は憎しみあうこともなく、まして関心はありあり。
終わらせることができないのは、
まだ愛情があるからなのですね。
でも、それを伝えられない不器用さ。うう〜。
映画を観ていて、一番に感じたのは男女の感覚の差です。
たぶん男性には、
なぜ、わざわざ見つからない青い靴をはきたいのか。
なぜ、結婚式に遅刻してるときにリルケの詩なのか。
理解できないでしょうね・・・。
かまって欲しい。感動をシェアしたい。私を見て欲しい!
このかわいい女心を、どうか受け取って欲しいな〜。
マリーとニコラの過去については、
何一つ語られません。
なので、はっきりとは分かりませんが、
マリーにとって、
「子ども」は一つのキーワードだったのかな、と。
もしかして、子どもを亡くしたのかもしれないし、
もしいれば、今の二人の関係は
違っていたかも・・・と考えているのかもしれない。
40歳を間近にすると、
女性としてはいろいろ考えちゃうものね・・・。
と、あれこれ想像してしまいました。
エンディングで、
一人ボルドーへ向かうというマリーの見送りに来たニコラ。
「おい、乗せちゃっていいのかい!?
そしたら、ホントに終わっちゃうよ!」
と、ハラハラさせられます。
結果、どうなるかは映画を観てのお楽しみ。
ちびちび的プチ評:



すれ違う思いと分かり合えないもどかしさ。見応えあり!
製作年 : 2005年
製作国 : フランス=日本
配給 : ビターズ・エンド
監督・構成 : 諏訪敦彦
出演 : ヴァレリア・ブルーニ=テデスキ 、 ブリュノ・トデスキーニ
あらすじ:
マリーとニコラは結婚して15年になる夫婦だ。彼らは友人の結婚式に出席するために、リスボンからパリへやってきた。その夜、食事の席で、ニコラは友人に自分たちが別れるつもりだと告げる。周りからは「理想のカップル」に見えた二人だが、その仲はいつの間にか冷え切っていた。結婚式のパーティの後、二人は喧嘩をしてしまい、ニコラは夜の街へ飛び出す。
このまま二人は本当に別れてしまうのだろうか…。(goo映画より)
結婚して15年になるマリーとニコラは、
友人の結婚式に出席するため、パリにやってきました。
映画の舞台は、主に、彼らの宿泊するホテル。
せっかくのパリなのに、
エッフェル塔もシャンゼリゼもありません。
ですが、即興で作られたという芝居が、
本当に飽きさせない。ぐいぐい引っ張っていってくれます。
すんばらしく自然な演技に拍手!
そして、それを引き出した諏訪敦彦監督に脱帽!
フランス語が分からないながらの演出というのですから、
驚きです。
オープニングのタクシーのシーンで、
彼らが「シラ〜ッ
」とした関係なのは、
ちゃんと見えています。
友人たちからは「理想の夫婦」と見られていますが、
実は彼らは「離婚」を決めているのです。
口を開けば、角つき合わせる状態で、
エキストラ・ベッドにどちらが寝るのか。
ホテルのキーを忘れて、取りに行くのはどちらなのか。
いちいち口ゲンカになってしまいます。
でも、それが罵り合いにまで発展することはないのです。
マリーの方が、けんかしたかった時。
「俗物になった」とか「底が浅い」とか、
さんざんにニコラをこき下ろして挑発するのですが、
ニコラは相手にしてくれない。
逆に、ニコラが話をしようとする時、
マリーはスネモードに入っていて、
「別に」
と応えるだけになってしまう。
こうした時、カメラは、
隣の部屋にいるマリーをドア越しにとらえていて、
ニコラ自身は画面に映っていません。
でも、ちゃんとニコラの存在感は伝わってくるのです。
映画全編を通して、
どちらか一人だけが画面にいる、
もしくは足だけとか、
鏡越しにチラチラといった感じのシーンが多いのですが、
これがまた、「向き合わない」二人を映しているようで・・・。
うう〜、もどかしい。
でも。
離婚を決めたものの、本当にこれでいいのか、迷う。
一緒にいるとイラつく。でも、やり直すことはできないのか。
どちらの道に行くにも決定打がなくて、
二人の思いは空回り、すれ違ってしまいます。
「私たちは何をしたの? 何をしなかったの?」
この台詞、恋の終わりに体内を駆け回る呪文のようです。
「愛情の反対語は憎しみではない。無関心だ」
という言葉がありましたが、
二人の関係は憎しみあうこともなく、まして関心はありあり。
終わらせることができないのは、
まだ愛情があるからなのですね。
でも、それを伝えられない不器用さ。うう〜。
映画を観ていて、一番に感じたのは男女の感覚の差です。
たぶん男性には、
なぜ、わざわざ見つからない青い靴をはきたいのか。
なぜ、結婚式に遅刻してるときにリルケの詩なのか。
理解できないでしょうね・・・。
かまって欲しい。感動をシェアしたい。私を見て欲しい!
このかわいい女心を、どうか受け取って欲しいな〜。
マリーとニコラの過去については、
何一つ語られません。
なので、はっきりとは分かりませんが、
マリーにとって、
「子ども」は一つのキーワードだったのかな、と。
もしかして、子どもを亡くしたのかもしれないし、
もしいれば、今の二人の関係は
違っていたかも・・・と考えているのかもしれない。
40歳を間近にすると、
女性としてはいろいろ考えちゃうものね・・・。
と、あれこれ想像してしまいました。
エンディングで、
一人ボルドーへ向かうというマリーの見送りに来たニコラ。
「おい、乗せちゃっていいのかい!?
そしたら、ホントに終わっちゃうよ!」
と、ハラハラさせられます。
結果、どうなるかは映画を観てのお楽しみ。


